1954年(昭和29年)4月8日
愛媛県南宇和郡に生まれる。
1957年(昭和32年)
当時住んでいた社宅3歳の時に家族で伊豆の湯ヶ島に移住。父は炭坑労働組合の組合長、母は旅館の仲居をしていました。小さい頃から負けず嫌いでガキ大将ぶりを発揮し、貧しいながらも楽しい幼少期を送しました。中学校時代には野球部に所属。投手として活躍しました。
1969年(昭和44年)15歳
東電学園高等部に入学。野球部でキャプテンでした。
1973年(昭和48年)18歳
左側の青い作業服が私です。東京電力に入社。。社会は第一次オイルショック。配電マンとして仕事を始め、仕事(電気工事や問題処理)が無いほうが会社が発展するという現実に出会いました。
1975年(昭和50年)20歳
東電時代の仲間と日本大学短期大学部2部に入学。様々な年齢層と人生経験を持つ学友との切磋琢磨の中で、自分の人生のこれからについて深く考えるようになりました。
「これからの人生は既に決まっているように見える。 これが自分の人生か? 自分はなんのためにこの会社に入ったのだろう?」
そして、世界旅行をすることで自分のこれからについて考えることを決意します。土日に仕事を貰って振り替え休日を貯めては安い海外旅行ツアーに参加、世界17カ国を回りました。
ロンドンにてスペイン旅行中に現地で成功したある日本人と知り合い、その人物の言葉をきっかけに脱サラを決意しました。
1980年(昭和55年)26歳
知り合いの紹介で、伊豆の京風料理店の責任者に招かれます。初めは引き受けるつもりは無く3回断りました。
しかし、相手の熱意から4回目に承諾しました。これが飲食業に関わるきっかけとなり、飲食の仕事の面白さと、様々な人々との出会いの楽しさに惹かれるようになりました。
一方、長男の病気、未熟児すれすれで生まれ、喘息と中耳炎を持った次男と長女の誕生、そして自宅を建てたことなどから多額の借金も背負い、生活は厳しくなりました。 そして、独立する決意を固めました。
1987年(昭和62年)33歳
串特急第一号店にて自己資金300万円、借り入れ1300万円で10坪の焼鳥屋の第1号店を静岡県沼津市に始めました。当初は苦戦しましたが、東電時代の仲間の応援などもあり、2年で行列のできる店になりました。
1990年(平成2年)36歳
2号店のカラオケスナック開店。
- 同年9月、有限会社ヒューマンクリエイト設立。社長就任
- 同年10月、3号店を伊豆長岡駅近くに開く。
1991年(平成3年) 37歳
船井総研の船井幸雄氏からアドバイスを頂き、人材育成を中心テーマにする多店舗展開を決意します。飲食業に携わってから10年が過ぎました。
1994年(平成6年) 40歳
バリでのお店インドネシア・バリ島に出店。
1998年(平成10年) 44歳
不景気な日本社会を見て、人々を健康にする、本物の日本食チェーンを世界展開しようと決意し、研究を始めました。
1999年(平成11年) 45歳
8月 ダイエーの子会社「りきしゃまん」の買収を持ちかけられます。
悩んだ末断るが、様々な応援もあり翌年7月に14店を買収、業界に大反響を呼び東京進出を果たします。グループ全体のこの年の売り上げは前年比145%の16.4億。
2001年(平成13年) 47歳
新規出店が43店舗を数える。 この年の7月決算は32億円。しかしながら、会社の様々な歪みが顕在化し始め、改革に挑戦する。
- 同年9月11日、ニューヨーク貿易センタービルテロ事件がアメリカで勃発。9月13日に計画していたニューヨーク進出が中止になる。
2002年(平成14年) 48歳
グループ売り上げ38億円を達成。しかしながら、会社内外で様々な問題が深刻化します。
2003年(平成15年) 49歳
初春、4月に計画していた上海進出が、SARS(重症急性呼吸器症候群)により頓挫。
2004年(平成16年) 50歳
当時の私ひどくなった会社の歪みを正すため、赤字店舗閉鎖、業態変更、新規業態開発、人員整理などの会社改革を断行しました。そして、飲食店チェーンとしては初めての、後方支援担当持ち株事業会社+営業専従事業会社というグループ形態で、株式上場を目指します。
- 同年11月から2006年6月まで、連続20ヶ月の前年平均売り上げ100%超を確保し続けました。
2006年7月(平成18年) 52歳
様々な出会いがあり、今後はもっと直接に、私の力を求めている人々の手助けをしたいと思うようになりました。そして、特急グループ代表取締役を辞任することにしました。1987年から19年間かけて137店舗まで増やした会社を離れ、フードプロデューサーとして多くの飲食店や起業家のサポート役へ転身しました。
- 同年8月 飲食店プロデュースを目的にした、株式会社フード&サクセスを設立
- 同年9月 友人の経営している居酒屋を支援して、「十五夜富士店」を開店。
- 同年11月 知人の経営していた中華料理店を支援して、「十五夜三島店」を開店
2007年(平成19年) 53歳
引き続き、様々な事業体の設立、運営及びその支援を推進します。
- 同年2月 低料金ホームページ作成・ネットマニュアル配信のグローバルバンク株式会社設立
- 同年7月 NPO法人と提携し、「セラピードックワールド」を開設
- 同年7月 沼津・三島地区で4店舗の居酒屋・懐石料理店株式会社リラクを買収
- 同年10月 沼津の千本に「串カツ専門店」を開店
- 同年11月 沼津駅北口居酒屋炭の助を魚料理「魚魚炉」に業態変更
2008年(平成20年) 54歳
引き続き、様々な事業体の設立、運営及びその支援を推進します。
- 同年4月 三島市松本に、つくね専門店「つくね寿ぅ寿ぅ」を開店
- 同年6月 三島駅南口の居酒屋炭の助を、つくね専門店「つくね109」に業態変更
- 同年6月 フィジーの首都にて、鉄板居酒屋開店依頼での現地調査に行く
- 同年7月 沼津市槙島町に「鉄板ダイニング春樹」を開店
- 同年8月 三島市二日町に、ラーメン業態「麺屋よしの」を開店
- 同年12月 不況と戦う方々を強力にバックアップするために、全ての店舗を店長他に売却し、プロデュース及びコンサルタント事業に集中する体制作りをする。
2009年(平成21年) 55歳
続々わき出る新たなアイディアで、日本に活気をもたらすべく様々なプロジェクトを進めています。
- 同年2月出版社からの依頼により、不況下で成功する飲食業の本(予定)の執筆。セミナー依頼受け付け開始。
- 同年3月 東京八重洲にて、フードサクセスセミナー「婚活と飲食店経営」を開催。飲食店支援のため、飲食関係で輝かしい実績をあげてきた仲間たちと、社団法人居酒屋協会(仮称)設立に向け構想中。

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